諭鶴羽山

神仙寺

令和八年三月二十日 御還座式斎行

たくさんのご参列ありがとうございました。

本尊聖観世音菩薩

脇侍 薬師如来

地蔵菩薩

採燈大護摩供法要

火渡り神事

神仙寺 由縁

諭鶴羽山 神仙寺 由縁

長寛勘文(1163-1164)には、熊野権現御垂迹縁起を引用する形で諭鶴羽山の記述があります。唐の天台山の王子晋が九州英彦山、四国石鎚山そして淡路諭鶴羽山を渡って熊野へと垂迹したと記され、諭鶴羽山には、はるか昔に密教が伝わっていたと

考えられます。そして、すでに信仰されていた神々と同体として信仰されてきました。

伊弉冊尊は、心の声を聞いて下さる聖観世音菩薩として、速玉之男尊は、病をなおして下さる薬師如来として信仰されて

きました。

 諭鶴羽修験道

自然豊かな諭鶴羽山は、大自然こそが神仏がおられる神聖な修行の場、心身を磨く道場、修験道として発展し、隆盛していき

ます。そして修験の中心として開かれたお寺が神仙寺です。諭鶴羽修験道は、平安時代に至ると発展、隆盛を誇りました。

しかし、戦国時代の2回にもわたる焼き討ちにより衰退、明治初めの神仏分離により、完全に消滅してしまいました。

 神仏分離

明治初めの神仏分離により本尊の聖観世音菩薩は、お堂と共にふもとの黒岩の地に下ろされました。廃仏毀釈の時代の流れ

ではありましたが、黒岩の氏子は手厚く観音様をお迎えし、爾来、大切にお守りされてきました。

 御還座

明治初めより、百五十八年の月日がたち、黒岩の氏子、高齢になるものも多くなりお堂も老朽化したので観音様のこの先を憂い、もとの諭鶴羽山への御還座(ごげんざ)を決めました。令和八年一月三十一日、黒岩にて御還座(出発)の法要を行い、

二月十一日の祈年祭の日に宮司、役員が黒岩へ出迎え、諭鶴羽神社へとお遷しし、社殿を整え、令和八年三月二十日をお彼岸の良き日と選んで宮司、総代、氏子、崇敬者、修験の行

者多く参列、祝詞、読経、舞い、書、太鼓、法螺貝の御法楽の中、御還座の大法要(御還座式)を斎行しました。

 

神仙寺

本尊に聖観世音菩薩、脇侍に薬師如来、江戸時代には別当として諭鶴羽神社を管理していた地蔵寺の本尊地蔵菩薩をお祀りし

ています。神仙とは、不老不死、完成された究極の人格を目指す壮大な修行を指しますが、食、呼吸、睡眠、運動、精神等、

心身を整え自然と調和して生きる大切さを説く教え(実践)でもあります。複雑な現代を生きる私たちにも大切な教えといえ

ましょう。